田舎で就農の課題

移住コーディネーターとして働き4ヶ月が経ちました。
過去の移住相談や現在の移住相談を含め、田舎で農業を行いたいとの相談が多々あります。

特に定年退職後の年配者は第二の人生として就農する働きが活発です。
しかし問題もあります。定年退職後に就農するパターンは2つあります。

1つ目はもともと実家が農家であり、会社を退職して農家を継ぐかたちで就農するケースと
2つ目は実家は非農家で、会社の退職を機に新たに農業をチャレンジするケースです。

同じ就農でも全く現実が異なり、特に2つ目の就農は中々難しいと感じます。

1つ目の実家が農家の場合は、幼い頃から親の背中を見て育ってきたため、農業とは何かを知っており、農業の手伝いや農作物の栽培など、多くの手伝いをしてきたため、就農する際に事前知識はある程度あります。当然ながら実家の農地はあり、農機具・倉庫も実家に備えてあります。

さらに地域の方々と顔見知りで、農家を継ぐ前にも、地域の様々な行事(お祭りや運動会)に顔を出していたので、「○○の息子です、○○の孫です」と言えば周囲に理解してもらい、就農当初から円滑に農家としてスタートすることが出来ます。

問題は2つ目の非農家から就農するパターンです。
貯金や退職金で農機具や空き家を改装して住むことはできます。農地も借りることは出来ると思います。しかし最も大切なことは「農村社会に溶け込み生活することができるか?」だと思います。

農村社会に溶け込むということは、地域の方々から地域の担い手になると認めてもらわなければなりません。
20代、30代の若者であれば、ロウソクのように柔軟であり、社会人経験も少ないため、変な先入観も無く溶け込めるかもしれません。

しかし60代以上の定年退職者の場合、場合によっては、長い会社勤めで頭が固くなっている方も中にはおります。会社努めで身につけた合理的なやり方は、残念ながら農村社会で通用しないのです。

田舎の農村社会は共同社会であるため、相当の人付き合いをしなければなりません。
「定年後は田舎でのんびり1人で農業をしよう」など中々難しいと思います。

例えば中山間地域では共同作業として、道路の清掃、水路の管理や清掃、神社の管理、テレビアンテナの管理など多々作業があります。
お祭りや林業関係の仕来りもあり、これらは先祖代々と農家の方々によって、その地を守り管理されてきました。

よって、非農家の方々が田舎で就農する際は、上記に上げた道路の清掃や水路の管理、お祭りや祭典などとにかく沢山の行事への参加が義務になります。
良くわからない会合や委員会など沢山あります。役員もすぐに順番が回ってきます。

中山間地域の農村は数百年、数千年かけてコミュニティや文化が作られました。
新規就農者はなかなか受け入れてもらえず、本人が死ぬまでよそ者扱いであり、子どもも場合によってはよそ者扱いです。親子3代続けば認められるケースもあります。

さらに都会では考えられない非合理的、非現実的な習慣や寄り合いなどがあり、さらには表面上では分からない複雑すぎる人間関係や厳しい上下関係もあります。会合で理屈が通らないこともあり、正論であっても空気を読まないと村八分になります。

残念ながら、このようなことがあることが現実です。
「定年後は田舎でゆっくり就農し、自給自足の生活を・・・」というのは甘いかもしれません。

しかし非農家の方が就農し、農村社会で成功してる方もおります。
その方は地域(自治会)へ汗を流し、謙虚に地域の方々に接し、年配者でありながら地域の担い手になっております。

なかなか60歳を超えた方が、謙虚にプライドを捨て、恥を捨て、地域の歴史と文化を理解し、地域に馴染むことは難しいかもしれません。
それを出来る方が農村部で就農し、田舎暮らしができるのではないでしょうか。

だから人が集まらない、だから若者が居なくなる。など厳しい意見も多々あります。
しかし、時代の流れにより何百年と行ってきた農村部のやり方を変えることは地域の文化と歴史を変えることなので、なかなか難しいと思います。

「郷に入っては郷に従え」
田舎暮らしでは柔軟な対応が成功の一歩であると感じる日々です。

ABOUTこの記事をかいた人

浜松市天竜区在住。民間企業で工業デザイン、青年海外協力隊村落開発普及員としてフィリピン共和国レイテ島町役場勤務、帰国後地域おこし協力隊として浜松市天竜区の地域づくり。現在は都市部から移住者を斡旋する移住コーディネーターとして活躍。