[略歴]
1984年09月 磐田市で生まれる
2003年03月 栃木県立佐野松陽高等学校卒業
2007年03月 ものつくり大学技能工芸学部製造技能工芸学科(Institute of Technologists)卒業
2007年04月 事務メーカーにて製品デザインを担当(主に公共施設のデザインを行う)
2010年02月 青年海外協力隊試験合格(村落開発普及員)
2010年10月 フィリピン共和国国家経済開発庁ボランティア調整局 派遣
2010年11月 レイテ島タナウアン町町役場出向(主に地域住民の収益向上計画を行い、収益を上げる)
2013年04月 帰国・外務大臣感謝賞受賞
2013年10月 地域おこし協力隊(浜松山里いきいき応援隊)として天竜区天竜地域にて地域振興
2016年04月 浜松市中山間地域移住コーディネーターとして天竜区へ移住者を斡旋
2016年07月 青年海外協力隊フィリピン隊員がアジアのノーベル賞を言われる「ラモンマグサイサイ賞」を受賞
2017年06月 天竜警察署警察署協議会副協議委員長

 

【地域づくりの原点「青年海外協力隊」】

 ●青年海外協力隊では第二次世界大戦で激戦地だったp01フィリピン共和国レイテ島
タナウアン町役場で活動しました。
フィリピン国政府からの要請内容は「地域住民の収益向上」です。

つまり「住民の収入が低いので何か企画して収入向上を計画し実行してくださいね」
というものでした。しかし現地の言葉は英語やタガログ語でなくワライワライ語。

言葉も分からず、予算も無く、コネも無い状況で、日本人1人で活動が始まりました。
現地の言葉(ワライワライ語)は半年間必死で勉強し使えるようになりました。

フィリピンの公用語はタガログ語と英語ですが、漁民や農民は学校へ行けない方も多く
そのような方は現地語を話しておりました。

つまり現地のニーズを知るためには、現地語をマスターすることが必須だったのです。p002

カネなし
コネなし
コトバなし

 ●初年度はアメリカ平和部隊と地域住民の収入減収の原因を調査し、
住民の多くは漁民であることから、漁獲高向上に努めました。
違法漁業が深刻であったため、魚を呼び戻すため魚の保護区を作りました。

 ●最終年度は多くの漁民と打合せをした結果、魚の養殖用を
収益向上のた作製しました。
予算の無い中から受け入れ先行政機関から予算を捻出し、
JICAと町役場、漁民の協力を得て養殖場が完成しました。(全て人力で作製)p005

この養殖場は工事に2ヶ月掛かりましたが、無事完成し養殖を行うことができ、
私は2回目の養殖が出来る環境を作り帰国しました。

 ●青年海外協力隊では留学やワーキングホリデーと異なり
様々な人と会い、様々なプロジェクトに係ることができました。
このような経験が国内における地域づくりに役立ったと感じます。

【帰国後、地域おこし協力隊へ】

 ●帰国後、青年海外協力隊の経験を社会還元と地元遠州地方活性化のため
地域おこし協力隊(浜松山里いきいき応援隊)として天竜区天竜地域で活動。

初年度は地元の方へ顔と名前を覚えてもらうため、イベントや祭りに参加。p006

地域の伝統と歴史、文化を知り、この地域で何ができ、何が効果的か
多くの方から意見を頂きました。

2年目以降は移住者を増やすため浜松市は「日本一便利な田舎」であることをPRし、
積極的に広報と交流に力を入れました。

また、担当していた天竜区熊地区のNPO法人夢未来くんまが
「オーライ!ニッポン大賞」を受賞。

このようなキッカケが地域の方々の大きな変化に繋がればと思います。

【地域おこし協力隊から移住コーディネーターへ】

天竜区は過疎化、少子高齢化、林業の後継者不足など様々な問題を抱えております。
このような問題は全てひも解くと、人口減少が原因となっております。

人口減少は浜松市だけでなく日本全国の問題ですが
人口を増やすことは難しくても、減る速度を緩やかにすることは可能です。

地域の担い手が少なくなることは、地域の文化や伝統を維持できなくります。
伝統や文化の無い場所ほど魅力的でない場所はありません。

浜松市の中山間地域を盛り上げ、面白くしてくれる方を見つけ、外の方と
地元の方を結びつける仕事を行い、天竜区の発展に繋がれば幸いです。